自分は世界を映す鏡
まだ、残っていました。
気がついてはいたのですが、思っていた以上に根深い
『認められたい私』と『褒められたい私』
今までは、嫌な部分が出てきたら
ギャーーーーーっと思って、
蓋して、見ないようにして、
蓋をした自分ごと責めて。はい。
矯正終了!私が悪かった〜で終わらせて来ました。
それか、問題そのものを手離すか。
ですが、今回は受け入れてみようと思います。
むしろ歓迎。
来やがれっ!!
【人に好かれたい?】
人に好かれたいのか、人に嫌われたくないのか、どっち?
そう聞かれると、嫌われたくないと答えていた私。
拒絶されるのが怖かった。
居場所がなくなるみたいで。
それはいつの間にか、自分を殺すように、表に出さない。に繋がっていました。
演技にも似た、作った私。
仮面を被った自分。
その一方で、自分を出したい。演技を辞めたい私がいる。
私を見て欲しい。いると認めて欲しい。素顔を見て!!
その二面性は今年に入ってから気がついたもので、私を悩ませてきました。
【鏡】
どうして、私が今この問題にぶつかったのか。
そういう現象が目の前にチラつく機会が増えたからです。特にここ2週間。
いつものように蓋をする対処をしても良かったのですが、うっかり、解決法もほぼ同じタイミングで飛んで来ました。
というよりも、解決法が「ほら、この問題を解いてごらん」と言いながら近寄ってきました。特にここ2週間 (笑)
とにかく、タイミングがぴったりで。
あぁ、もう一度ガチで自分を見つめる時期なのだと…。
そして改めて気がつきました。どこまでいっても、自分が自分で世界を作っている。
それは絶望にも似た気づきであり、最大の希望です。
人は変えられませんが、自分は変えられます。
そう、世界は自分で変えられるんです。
【どんな自分が嫌い?】
優しい声で解決法が聞いてきます。
その質問、したことがなかった!
だって、昔の私は嫌いだらけだったから。
嫌いを書き出すのが大変でした。嫌いな部分が多すぎて。
聞くまでもなかった。当然すぎて。
なので、少ない「好きな方」を探したり、問いかけるようにしてきました。
そういう意味では、自分を好きになったからこそ、出てきた質問です。
逆転したんですね、好きと嫌いの分量が。
そしてある時から嫌いにフォーカスしなくなっていった気がします。
嫌い=ネガティブとして。
今思えば、この思考そのものが既にネガテイブですが…。
どんな自分が嫌い?
どんな自分を認められない?
それをしっかりと見ないうちはまた同じ問題が飛んでくるよ〜〜。
解決法が、ごちゃごちゃ言ってきます。
嫌いを反転させてごらん。
受け入れてごらん。
それは、演技を止めることでは無くて、
仮面を捨てることでもなくて、
もっと奥底、深〜い想い。
ありのままの自分を信じること。
演技や仮面を気にしている自分に焦点を合わせるのでは無くて、
それをやっている、もっと奥底にある、ありのままの自分を信じること。
【居心地のいい自分を知る】
ありのままの自分って?
きっと、自分が自分に居心地がいいこと。
居心地がいい自分を知ること。
それは、答えがあるようなものではなくて、
探すものでは無くて、
作るものでは無くて、
感じるもの。
きっと「幸せ」と似ているから。
気がつくだけで、世界は幸せに満ち溢れています。
これを読んでくれたあなたにも、届きますように。
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